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【奄美大島・加計呂麻島】その先の、かげろうの島へ

feb.2017

不安定な大気のせいで、定刻をずいぶん過ぎて着陸したプロペラ機のタラップを降りると、まだ少し冬の空気が漂っていた。

但し冬とはいえここは奄美大島、気温はさほど低くはないがあいにくの雨模様で、夏に来た時とはずいぶん印象が違う。取材の機材を受け取って到着ロビーに出ると、迎えに来たレンタカー屋が昨年と同じ会社で記憶が甦る。段取りが幾分早くなった気がするねと言いながらクルマに乗り込み、早々に始動ボタンをプッシュすると、コンパクトなエコカーのエンジンが軽々と回り始めた。

しかし、今時のクルマは音も振動も少なくてまるで白物家電みたいだ。ハンドルを握っていてもロードノイズやエンジン音といった“道の具合やクルマのご機嫌”を感知できないので、ロートルなクルマ好きにはてんで物足りない。奄美北部にある空港から いくつかの峠を越えながらR58を進む行程も、ふわふわとしたエコカーのハンドリングに集中するのみで退屈でしょうがない。まぁそもそも島ではレンタカーに頼るほかないわけだから、余計なことは考えずに安全運転に徹しなさいということなのだろうが。

ぶつくさ言いつつ向かったのは奄美で一番大きな町、名瀬の外れにある大島紬の工房。織元親子に話を聞くのが目的だ。いまや紬職人のほとんどが高齢化し、昔のように着物が売れなくなってきているなかで、大島紬も衰退の一途を歩みつつある。しかし「奄美の風土のなかで育まれてきた大島紬という貴重な文化を決して廃れさせてはならない。その高度な技術を次世代へ伝承しなくてはならない」という親子の使命感をリアルに実現するため、100以上にわたる複雑な工程すべてを自社で行なうまでになったという。また、織り機造りの技術を後世に残すために、オリジナルの大型織り機を職人に製作依頼したというから驚いた。そして大島紬ブランド認知度の向上と生産数の増加を目指し、異業種とのコラボ商品開発や産学共同イベントの開催にも意欲的なのだ。

とても積極的に活動されてますねと言うと、

「いまはなんだけど、大島紬の働き手が奄美に戻ってきた時に仕事ができる環境をつくっとかないと、みんな困るからねー」

そうケラケラと笑う親子はとても明るい。「これお土産。わたしが作ったんですよ。旨かったらまた連絡してくれれば送るから」と取材後にいただいた自家製たんかんの調味料を手に、また来ますねと手を振って別れた。

 

夕暮れの宿にクルマを泊め、ライトが灯り始めた名瀬の飲食街へ向かう。

奄美は意外と大きな島ではあるが、いわゆる繁華街というのは名瀬にしかないように思う。しかも港の周辺は数が結構多くて目移りしてしまうほどだ。

しかし我々には目的の店があった。

奄美大島随一の歓楽街である屋仁川(やんご)通りを歩いて到着した店は『67酒場』という屋号で、寿司屋の居抜きに手を入れたシンプルな内装だが奄美にしては少し都会的な雰囲気だ。店内もなかなかの活気で居心地がよい。テーブル席の奥にあるカウンターを陣取り、店長の徳さんにもビールをどうぞと声をかけて三人で乾杯した。

実は徳さん、東京・恵比寿で我々が古くから通っている餃子店の店長で、奄美大島出身の元大相撲力士。昨年、縁があって奄美にも出店したのだという。移住者も増えつつあるこの地に、いままで無かった“餃子で酒を呑む”という文化広めるため、家族を東京に残しつつ、単身乗り込んできたという訳だ。

接客の合間、久しぶりの再会にお互いの近況話に花を咲かせる。

「よし食うぞ。メニュー、メニュー」

「あ、東京と違うからかなりアレンジしてるよ。メニューも違うでしょ?」

聞くと、魚や野菜は「貰うもの」なので地元の人間は外ではあまり食べない。そりゃそうだ、家の方が旨いんだから仕方ない。でも目新しい飲食店は長続きしない場所柄でもあるので、餃子のみならずサイドメニューにも力を入れているという。これだけ店があってもスナック やバーの比率が多いように見える屋仁川の飲食街、食べるより呑む文化なのだろうか、さすが黒糖焼酎の島である。

明日はどうするの? と聞かれ、折角だから行ったことのない加計呂麻島に行きたいと考えてるんだけど……と話すと、

「え? オレの実家、加計呂麻だよ」

「えーっ? 徳さんの実家って加計呂麻だったの?」

と驚くふたりをおいて、おもむろに誰かに電話をかけ始めた。

「うちの母ちゃんが、明日、港で待ってるからって」

「なんと、ありがたい! で、加計呂麻のどこ?」

「?諸鈍(しょどん)」

「おぉー!(マエダ&セガミの声)」

 

 

そんなこんなで、翌朝。

 

昨晩、徳さんの実家が諸鈍だと聞いて、どうして我々が歓喜したのかというと、1185年の壇ノ浦の戦いに敗れて加計呂麻に流れ着いた平資盛(すけもり)が諸鈍には祀られていて、その資盛が住民に教えた、諸鈍シバヤという民俗芸能(重要無形民俗文化財)が今も残る場所だからだ。いつか見たいと思っていた諸鈍シバヤ。しかも聞けば徳さんのお父さんは、毎年秋に開催されるシバヤに参加しているというから、もうこれは会いに行くしか無いという訳。

翌朝も残念な雨模様だったが、まだ暗いうちからクルマを走らせて、奄美大島本島の最南端、瀬戸内町の古仁屋(こにや)港に到着した。

加計呂麻の港は、瀬相(せそう)と東の生間(いけんま)の二つある。生間行きに乗るように徳さんに言われたのを思い出してフェリーのチケット売り場に行くと、フェリーが故障中なので、対岸にある生協の横から海上タクシーに乗ってくださいと淡々と告げられる。

「海上タクシーって、つまり漁船だろ? 揺れるかなぁ」「どれくらいの大きさでしょうね」などとセガミと話しながら対岸まで歩くと、先にファミリーマートがあったので、まずは腹に何かしら入れておこうかとおにぎりとしじみ汁を購入。すると沖から大きな海上タクシーと小さな海上タクシーがやってきた。

にわかに賑やかになってきた漁港。荒っぽい感じの海のおやじが渡航客を適当に振り分けている。

「生間行きは?」「こっち」

はぁ、小さな船だ……。

船は10人程の客を乗せてさっさと港を出発。海上タクシーの運ちゃんは波とか風とかそんなもんお構いなしに素っ飛ばす。

「ゆ、揺れますねぇマエダさん」「も、モトクロスだと思えば楽勝や」などと意味の無い会話を上下左右にぐらぐらと揺れながら20分も経つと海の色が変わって、いよいよ生間港が近づいてきた。

 

「うわぁ、なんですかこの綺麗な色は」

セガミが思わず声をあげるのも無理はない、目の前にはエメラルドグリーンの美しい港があるのだ。

小さな港には迎えの人々がちらほらと。緑色の幌付きの軽トラが停まっており、男性がこちらを向いて立っている。「あの方、徳さんに似てるけどお母さんじゃないよね?」とセガミが徳さんから教わった携帯を鳴らすと、大正解。挨拶を済ませてセガミは助手席に、マエダは荷台に乗り込んで、まずはレンタカー屋へ連れて行ってもらえるか聞いてみた。

 

「あー、レンタカーは空きがないかもね。まぁ兎に角うちの家に来てくださいよ」

 

荷台から後ろ向きに流れて行く景色は、いかにも奄美といったデイゴの並木。諸鈍(しょどん)の集落(シマ)をゆっくり走りながら、まずはお父さんのマンゴー農園をひとしきり見せていただく。夏には糖度の高いマンゴーがたくさん実るんだとか。そしてもう一走りすると、これまたザ・南国! といった風情の素敵な家があった。どこまでが敷地か分からないほど広い庭には蘇鉄や甘夏の果樹がたくさん並び、鶏も元気に走り回っている。玄関に入ると力士時代の徳さんが手にしたトロフィーや賞状が所狭しと飾ってある。すると、いかにも力士の母的な気のいいお母さんが登場。既にお茶とお菓子を用意して待っていてくださり、初対面とは思えない気さくさで、あれやこれやと会話が弾んだ。途中、お父さんは軽トラのキーをセガミに渡して村の集まりに出かけたが、どうやら我々が島内を散策するのにこのクルマを使え、と車中でセガミに話してくれたようだ。

「お昼には戻っておいで、ご飯を作っておくからね」

 

なんか、もう親戚感覚。

 

天気も回復、青空だ。時間があまりないので安脚場(あんきゃば)や徳浜ぐらいしか行けないが、それでも加計呂麻島の四方には海が広がっている、それだけでいい。奄美大島のすぐ近くに浮かぶ美しい加計呂麻島は、「影の島」「かげろうの島」と呼ばれることもあるそうだが、影だからこそ、この美しい海を保ち続けることができるのかもしれない。大きなホテルもスーパーも無い、外からのノイズが遮断されているからこその静寂がこの島にはある。

高低差の激しい島の細い道を、軽トラでとことこと走り回ること数時間、帰宅すると台所から出汁の良い香りが漂っていた。

「普段のおかずでごめんね」と、郷土料理の“わんふに(骨付き角煮)”とソウキうどんを出していただき、さらに男ならもっと食べなさいと大盛りご飯とパパイヤの漬物もサイドにセット。食後もお茶を飲みながら、お母さんが大好きな大島紬の話や地元のよもやま話、徳さんの子ども時代の話、諸鈍シバヤに出演するお父さんの悪口(笑)と、まぁいろんな話をして笑った。

軽トラで生間の港まで送っていただき、写真を嫌がるお母さんを強引にカメラに収めつつ、遠慮なく食事までご馳走になったお礼を告げて別れる。いくぶん波が穏やかになったとはいえ、ほとんどトビウオが跳ねるように海上をぶっ飛ばす操縦士の背中を見つめながら、そういえばお父さんが、夏のマンゴー収穫を手伝いにきてくれ、諸鈍シバヤのある秋もいいぞと言ってたことを思い出し、次は夏か秋に遊びに来ようかねなどと、徳さんに相談するのもすっかり忘れ、次の旅へ思いを馳せる船中だった。

[写真・文:前田義生]

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